照崎雲雀は、江戸時代徳川家康公の側近だった、
天台宗僧侶 南光坊天海(なんこうぼう てんかい) を目指します。
天海は、江戸幕府の都市構想を創り上げた天台宗の僧侶であり、
上野寛永寺を建立した僧侶でもあります。
この天海、とても風水理論や密教に長けていた
人物だとと言われております。
少し歴史の話をさせて下さい。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
江戸(武蔵国)は荒れた土地でした。
太田道灌が江戸城を築城してから、数十年後
家康が江戸に幕府を開いたのです。
何故家康が、江戸に幕府を開いたのか。
家康が、江戸に幕府を開いた理由は、江戸が風水理論上
最も栄える場所の条件を満たしていたからです。
先に述べた天海が風水理論(地相学)を用いて、
関東の地相を調べあげたところ、江戸の地相は
中国正当風水の「四神相応」と呼ばれる地だと判断したからです。
その後、家康は江戸に入り、天海は、家康から江戸の
都市計画を命じられ、江戸の町が栄えるように、
江戸の町づくりを行います。
風水に精通していた天海は、風水理論を用いて
江戸の町を設計したのです。
この天海は、徳川家康・秀忠・家光の三代に遣え、
当時では珍しい百八才まで生きた僧侶と言われています。
天海没後、江戸幕府は、15代将軍慶喜が大政奉還を
上奏するまで、264年続きます。
照崎は天海の様に、皆様の会社や、一族、子孫が末永く、続くように
「家」や「土地」を通じて、繁栄のお手伝いしたいと考えております。